博物館ノート

東海道絵巻(写真帳)

収蔵品

東海道絵巻は、江戸時代初期から中期の東海道を描いた絵巻物です。「江戸御本丸から「京二条御城」までが描かれており、街道沿いの名所旧跡はもちろん、河川や山などの自然や暮らしている人々の様子が詳細に描かれています。
下の写真は、「東海道絵巻」のうち原から吉原の部分です。中央には白い雪を冠した富士山が描かれています。
遠近表現や区画の区切りとして使用される表現技法「源氏雲」を使い、富士山がはるか上空にそびえ立っている様子が表現されています。この「源氏雲」は絵巻中で多く使われており、長い道程である東海道が部分ごとに省略されています。このことから、視覚的な美や内容の面白さを追求した観賞用として描かれたことが分かります。
この絵巻は、元禄時代に幕府の要職を務めた秋元家四代当主秋元喬知(あきもとたかとも)の遺品で、絵巻自体は大正十二(一九二三)年の関東大震災により焼失しました。当館が所蔵している「東海道絵巻(写真帳)」は、逓信博物館(当時)の職員で交通史の研究者であった樋畑雪湖(ひばたせっこ)によって、明治末から大正初期の間に撮影されたものです。同氏は、江戸時代の駅逓資料として逓信博物館に展示するため撮影を行いました。
この写真帳は、平成六年に当館の図書資料室で他資料を調査中に偶然発見されました。しかし、発見された写真は表面が経年劣化しており、絵巻の内容を詳細に見ることはできませんでした。その後の調査で、絵巻自体は焼失し、巻頭部分のみが描かれている模本が東京大学史料編纂所にて保管されていることが分かり、この写真帳は「東海道絵巻」の全容を伝える唯一のものだということがわかりました。その事実を踏まえ、当館が中心となり、最新デジタル画像処理による修復を行いました。この結果、デジタル画像により「東海道絵巻」七十六場面の内容がモノクロではありますが、鮮明に見えるようになりました。また、写真帳自体もこれ以上劣化が進まないように処置を行っています。
このようにして、「東海道絵巻(写真帳)」は、失われた「東海道絵巻」の全容を知ることのできる唯一の資料となりました。観賞用に描かれた絵巻ですが、名所や人々の様子が詳細に描かれていることから、現在はこの写真帳を用いて通信・交通に関する調査研究が進められています。

toukaidou02.JPG

東海道絵巻二十場面 原から吉原の部分

この記事は、「逓信総合博物館 展示品・所蔵品紹介」『通信文化』(10号、通巻1220号、48p、公益財団法人通信文化協会発行、2013年)掲載記事からの転載です