博物館ノート

春季資料公開 甲東大久保公書簡

収蔵品

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明治7(1874)年~11(1878)年に大久保利通が前島密に宛てた手紙59通を全9本、巻子仕立てにしたものです。明治6年11月に内務省が新設され大久保が内務卿兼任、翌年1月駅逓寮が内務省に移管されました。大久保が地方行政に心許無い為、前島は次官として内務の事業を行いました。
大橋清贇(せいえん・本名は一蔵)は越後の生まれで、明治9(1876)年の萩の乱に呼応して反乱を企てましたが、失敗して自首。特赦の後に新潟に明訓学校を設立し明治19(1886)年から北越植民社を興し北海道開拓事業を行いました。明治22(1889)年、大日本帝国憲法発布の祝賀に上京した時、花電車にひかれそうになった老女を救い、重傷を負って死亡しました。
岩倉具視は明治4(1871)~6年にかけて明治政府が海外に派遣した大使使節団の特命全権大使です。帰国直後、西郷隆盛の征韓論を阻止しました。この手紙では横浜を出港して京へ行くとあります。この旅行は自己都合ということで「プライベイト」という言葉を使っているのが何とも興味深いところです。

※この書簡は、先にご紹介した「大久保利通の書簡」と同じ巻子の中にある1つです。